俺は……32歳の…………誰だっけ……
思い出せない……。
名前がわからない………。
腹が………筋肉を潰すのはもうやめて……くるしい………
男は、両手足を板に括り付けられ、仰向けになって寝ていた。
酷くやつれた顔をしている男は、もう1ヶ月も拷問を続けられていた。
元々少なかった脂肪はほぼなくなっている。
栄養不足と度重なる筋肉の損傷により筋繊維が弱り、痩せた男の身体には肋骨が浮いていた。
4パックの割れた腹筋は、元々は隆々と存在していたのもむなしく、かなり弱々しくなっているようだった。
32回目の腹筋機能訓練を始める。
……どこからか声が聞こえてくる。訓練とは名ばかりで、実際はとてつもなく苦痛なものだ。
……ぁあああ始まる………誰か助けて………
男は、心でそう強く思った。
実際には「……ぁあ………ぁあ」と、呻き声しか出せないほどに弱っていたのだが……。
「残存筋繊維の破壊を行う。」
音声がそう告げると、男の腹筋に一瞬電気が流れた。
男の4つに割れた腹筋はボコボコと形を浮き上がらせた直後、猛烈に腰を浮かし、そして大きく跳ねた。
「脳からの命令を遮断しました」
音声が告げる。
……ぁあ、これで終わった……。あの地獄が来る……。
身体が鉛のように重い。腹が重い………。
男は時給3,500円という破格の待遇にだまされ、このバイトに応募した。
筋肉の強さのインタビューと簡単なテストという名目だった。
男は長年体操をしていて、今も筋トレを欠かさなかった。
ベンチプレスはゆうに100kgがあがり、肩幅も広い。街に出ればいろんな男が振り向くほどには魅力的な肉体をしていた。
長年培った筋肉には、自他ともに認めるものがあったのだ。
細い棒が、震える男の腹に当たる。
べちっ!
電気のような衝撃とともに弱い音がした。
男は目を見開いて突然暴れ出した。
衰弱しきっているはずなのに、大きな声で叫び出す。
………!!!
ぅううあああああーーーー
ぁあああーーー
男は弱々しい声を裏返らせながら体をよじり、腹筋を盛り上がらせて叫んだ。
その時、天井に吊るされた黒くて大きいバケツが反転し、男の全身へまんべんなく液体をぶちまけられた。
「……これっはっ!!………やばいっ………やめてぁえええええ」
男は止まることなく叫び続ける。
どこからか声が聞こえる。
「ラストモード。No.30スタート」
……やめてェエエエえーっッッッ!!!!やだやだやだやだぁーーー!!!!ぁあああーーー!!、、!………っ!!!…………!!!
狂ったように必死に叫ぶ男の皮膚は、抵抗も虚しくどんどんと溶けていき、血管がいたるところにまとわりついた筋肉組織があらわになってきた。
どんどんと人体模型のような姿になっていく。
正確には、皮膚が透明化してクラゲのような透明な組織に変化していたのだ。
皮膚の上からでは4つにしか割れていなかった腹筋は8個に割れていた。
上4つはきれいに割れていたが、脂肪がやや多めについていた下の4つは不完全に割れており、一つの板のように見えなくもなかった。その付け根には性器に繋がる筋肉が付着していた。
男がもがくたびに様々な場所の筋繊維がピシッと収縮し、それぞれの筋肉の動きが手にとるように見えた。
「筋力発揮中の筋繊維を発光させます」
「溶液C854注入」
………
男の首に、黄色に光る液が流し込まれた。
透明な皮膚の中で、血管に入っていく様子が見えた。
これは筋繊維が動く微弱な電流に反応して光を放つ物質だった。
血流に乗り、ドクンドクンと体内に浸透していく。そしてだんだんと、男の体が淡く光を帯びてきた。
ひときわ、胸の一部分が規則的に光っていた。
……心臓だ。
巨大な筋肉の塊なだけあり、大胸筋の隙間から強い光を放っていた。
ドクドクと命の鼓動を力強く放っていた。
「心筋の規則的発光を確認。正常に反応しています」
機械音はそう告げた。
「腹筋を攻撃」
ドゴォ………
ボムゥ………
ドゴォ……
天井の黒い物体から棒が突き出て、男の腹筋の中央に5センチほど何度も食い込んだ。
腹筋は凹み、ひしゃげていく。
そのたびに大胸筋や足の筋肉が暴れ、ビカビカと光る。
自由を奪われた腹筋の筋力は0になっているため、内臓がストレートに損傷していく。
ぉおうおぇぇええ………!!!
げほぉ……
腹に棒が刺さるたび、腹筋に守られることのなくなった内臓や神経がどんどん機能低下していく。
腸は動きを止め、神経の伝達が鈍る。
男の肉体は、これまで何度も訪れた異常事態にもう対応することができなくなりつつあった。
それでも、力なく叫ぶ男の胸の発光は速さを増し、腹部の筋肉や内臓の修復のために全身から栄養素をかき集め始めるべく心臓が鼓動を早める。
そして、肺の周りを囲む筋肉も規則的に光り始めた。
呼吸が強く、どんどん荒くなる。
「エイトパックの腹筋組織を刺激し、筋繊維の収縮が見られなくなる時間を計測」
まずは右上から。
細い金属の棒が、激しく明滅する胸部の少し下あたりに配置される。
「……ぁっ!!ぁ………はっ」
腹筋の一部が光かがやき、男の身体は激しく痙攣し出した。
次は左下。
割れ目が不完全な部分だ。
2本目の棒が刺さる。
「おごぉおお…………」
男の腹筋は全体が光り輝いていた。
ズゥンズゥンと低く重い音が周期的に聞こえてくる。
そのリズムにあわせ、腹筋は猛烈に収縮し、8個のコブを浮き上がらせながら痙攣する。
猛烈な痛みと腹筋のだるさが男を襲う。
叫ぼうにも、腹が動かないため息を吸えず、あっ……あっ………と小さくうめくことしかできない。
急速に筋繊維が消耗し、10回ほど繰り返したところで光が失われてきた。
「ぉおおおーーぁおおおおお………ぉおおお………………」
男は漏れ出した声を制御できず、ひたすら泣き、そして腹から溢れ出るものを撒き散らしている。
それでもなお、潰れて動かなくなりつつある腹筋に容赦ない刺激が加わり続ける。
高速で腹筋の中央を責め、胃や肝臓を満遍なく攻撃する。
「ぁあ!ぁあ!ぁあ!ぁ!ぁあ!!!ぁ!!」
「あっぎ………ぎ………ゃあ……あ…………」
筋肉が反応しなくなると10秒ほど刺激が止まり、筋肉に休息を与える。そしてまた刺激を加え、かろうじて回復した筋繊維を痛めつけた。
その間、男はもう声を出す余裕もなく、消費され続ける酸素を確保しようとハァ!ハァ!!と胸の筋肉を激しく広範囲に光らせながら、胸だけで呼吸をし続けた。
そして、それが何回か繰り返された……。
男の腹筋は、どれだけ時間を置いてもわずかにしか光らなくなった。
もう収縮できる部位が残っていないのだ。
「腹筋組織の収縮能がほぼ0となりました。72秒。1回目は350秒でした。筋繊維の消耗が回復しないようです。次は、胃と神経に圧迫ダメージを与え、嘔吐反射を確認」
8個に割れて極限までパンプアップしている腹直筋は全く光らず、筋繊維としての機能を失っていた。
心臓が爆発しそうになりながら鼓動したり大胸筋がつながれた腕をあまりの苦しさに振り回そうとして四角く発光するのとは対照的だった。
ぁ……………ぁーーーー
ぁーーーー
男は、掠れた声で悲鳴を絞り出した。
ドォーーーーン!!!
ドォーーーーン!!
そんな男の腹に腹筋のサイズほどの直方体がゆっくりと乗り、そして無慈悲に無制限の重さをかけられ、もはやただの肉と化している8個に割れた腹を潰し始めた。
「げぇ…………ぇええええ…………ぁあ」
「…………ぁ…………」
ごぽっ………
びぢゃ………びちゃ………
「ぉ……おぶ。………ごぉぉお」
時折、ボグッ……と脆い音がする。肋骨が折れる音だった。
ぐぇぇえ………
げぇーーー…………
ぁああ
し……ぬ……
男は肺から溢れ出る空気を絞り出した。
腹が潰れ、内臓が少しずつ変形する。
物体が男の腹を潰すたび、男の心臓は震えながら鼓動が止まり、足を細かく痙攣させながら口からはゴボゴボと泡を吹き出す。
おもりが束の間だけ腹から離れると、心臓が必死に鼓動を再開させる。
男は口からまだ残っている胃液や何かの泡、血など様々なものが混ざった液体をゴボゴボとなされるがままに吐く。
嘔吐するための腹部収縮や、オェエエっと吐こうとする筋力がもはやなかった。
身体は常にブルブルと震え、その震えにより腹筋以外の筋肉組織が弱々しく光っていた。
クラゲのような皮膚から透ける筋肉は、ところどころちぎれ、そして真っ赤に腫れてブヨブヨにふくらんでいた。
横隔膜が激しく発光し、必死に酸素を取り入れるべく肺を動かしている。
だが腹部は全く機能していないため、十分に呼吸できている状況ではない。
「腹部の筋肉は検知不能となりました。これで実験を終了します。」
……ようやく男は解放された。
すぐに男の皮膚は元の色に戻った。
腹筋はもはや完全に機能停止しており、真っ赤に腫れ、無惨な状態だった。
腹式呼吸を奪われて肩と顎で呼吸している男は、ずっとグゥーーーーぐぅーーー………と苦しそうに喉を鳴らしていた。
「た……たすけ……てぇ
「はらがうご……か……ない……
「おれの……筋肉はぁ……だれか…
150時間にわたる拷問で得られたのはおよそ50万円……。
その後、この男は一年ほど病院で療養生活を送ったということだった……。